大塚ちひろ主演、「この森で、天使はバスを降りた」
刑務所を出たばかりの女の子・パーシーは、北のさびれた田舎町ギリアドを目指す。
かつては採石場がありそれなりに明るかった町も今では活気がない。
人々もそれぞれに事情を抱えていた。美しい森はあるがつまらない町。
そこに飛び込んだ異分子パーシーが少しずつ何かを変え、彼女自身も変わっていく、再生の物語。
よかったです。おもしろい芝居だった。
作中、ギリアドの食堂を売りに出すことにした彼らに、たくさんの応募者からの手紙が届く。
美しい森のあるこぢんまりとした穏やかな土地、ギリアドに住みたい。
10年同じ部屋に住んでいてお向かいの名前も知らない。
たとえ死んでも気付かれないような孤独すぎる日々には疲れた。
忙しさに追い回されず子育てがしたい。
都会にはない、ここではないどこかにある理想をギリアドに見出した人々からの手紙。
その手紙を受け取り、価値があるなんて思っても見なかった自分たちの町の良さに気付き、
人々は少しずつ明るさを取り戻す。
私は、田舎に理想の暮らしがあるなんて勝手な妄想だと思っているので、
こんなに夢を描く人はホントにここに来たりしない方がいいだろーなーと思いつつ見ていた。
べつに田舎は結局不便なだけでいいとこなんてないと思っているわけではなくて。
そりゃぁ都会にないものはあるだろうけど、良いモノも嫌なモノもどっちもあるのは変わらない。
事実、物語前半のギリアドはそれほどいい町ではなかったし、
根本的なことは何も変わっていないのだから嫌なモノはこれからも残り続ける。
ここではないどこかに嫌なモノが全くない世界があると信じてギリアドを目指すのは挫折のモトだ。
それでも、ギリアドの森には力があったのだろうと思う。
秋、いちばんこの森が美しい季節に、パーシーはひかりに出会う。
「こんなあたしでも生きてていいと信じさせて」と泣きたくなるような美しさに出会う。
私も、ときに美しさが絶対的な説得力を持つことがあるのは、わかる。
誰に側にいてもらうよりも、どんな言葉をかけられるよりも、
目の前にある風景から力を受け取れることがある。
海の青さだったり、鮮烈な色だったり、もっと何でもないものだったりしたけれど。
ギリアドは決して理想の楽園ではなくとも、そんな力を持った場所であることは確かだったのだろう。
今回は舞台なのでその森は一切姿を見せず、役者の表情からその姿を想像することしかできない。
この舞台の原作は映画なのだが、映画ではこの森をどんな映像美で見せてくれたのだろう。
この作品の原題は「The Spitfire Grill」。
パーシーが住み込みで働くことになる食堂の名前だ。
これの邦題を「この森で、天使はバスを降りた」としたのは、また随分と大胆な意訳だ。
だが確かに大塚ちひろのパーシーは、完全に善良な女の子ではないけれど天使だ。
そういう雰囲気があった。
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