2009年11月28日

Heat on beat!

東京宝塚劇場にて、芝居を観てきました。
月組公演「ラストプレイ/祈りのように」と「Heat on beat!」の二本立て。
トップのあさこさん(瀬名じゅん)のサヨナラ公演だ。

芝居の「ラストプレイ」は、まぁおもしろかったけれどやや退屈…。
「ここで終わっちゃうの!?」という幕切れもちょっと納得がいかない。

けれど、二本目のショー「Heat on beat!」はすごくよかった。
私はたいてい芝居>>ショーという関心の持ち方なので、これは珍しい。

全体的にアダルトな雰囲気が強いショー。
アンニュイに、お洒落に、不可思議に。なのに不意に強く引きつけるような要素を挟んでいて。
観ていて急にはっとして、どきどきさせられている自分に気付く。
で、合間に若手がぱーっと元気にやってくれてバランスもいい。

あさこさんは、すごく綺麗な人だと思う。それをまた感じた。
中詰めのワインレッドのシャツとストレートパンツ姿も、
真っ黒なシンプルな衣装で裸足で踊りまくる姿も、
クラシカルな黒燕尾服姿も、
どれもこれも端正で、美しい。
あー、キレイだなぁ。

今回やめてしまう娘役のあいあい(城咲あい)も良かった。
ゴージャスで派手な美女で、後ろにいても目立つ目立つ(笑)
もったいないなぁ。

久々に、かなり好きなショーに当たりました。
一応これは回数観ようかなー。
posted by バンビ at 21:17| Comment(4) | TrackBack(0) | 宝塚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月24日

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長い1日だった。私、今日何回謝ったんだろう。つかれた。
私のせいでいろいろなことが滞って、いろいろな人から怒られたり呆れられたりした。
なんつーか、私が足りてないってことはわかってるんだ。
入社して8ヶ月、そろそろ新人を言い訳にできない。
でもなんか、私、無茶ぶりされてないか?
無茶ぶり、プラス私の出来の悪さのせいで、事態が負のスパイラルにはまっているというか。
もっと、いろいろ教えてから外に出してください…ってのは甘い言い分なんだろーけど、
物事が効率よくすすまねーんだよ、どーにかしたいんだよ私だって。

今日、教えてくださいを堂々といえるのは今年くらいだという恐ろしいことに気づいた。
まじで、上司追っかけ回してくっついて突き上げて、なんとか必要な知識を学ばなければいけない。
posted by バンビ at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月08日

ヴィヨンの妻

映画を見てきました。太宰治原作、「ヴィヨンの妻」。

気難しく「死にたい」とよく口にする作家と、その妻さち。
酒と薬におぼれ妻を省みないわりには、寂しがり屋で嫉妬深く、身勝手な夫。
さち自身は十分若く美しく、さちに思いをよせる若い青年や、かつて愛した男性も彼女を気遣う。
それでもさちは、夫の側にいることを選ぶ。

この男、弁護できないくらいはっきりろくでなしだが、それでもモテるのがよくわかる。
映画を見てのこの感想、一緒に行った姉に語っても理解はしてもらえませんでした。

さちの夫は、ろくでもない男だ。
この世界で生きていくのに馴染めなくて、酒や薬に逃げるしかない。
臆病で甘ったれで、そのくせほんとのところ死ぬのも怖いからいつも死にきれなくて、
だらだらと「恥の多い人生」を長引かせて、周りに散々迷惑をかけている。
客観的に冷静に言って、庇いようがない。
でも、この人に一度必要とされたら、きっとこの人から離れられなくなる。
愛しているとかそういうこと以前に。
この生きづらそうにしている人が、自分の側にいることを一時でも選んでくれたなら、
それは人として、とても嬉しいことだと感じるだろう。
そしてこの人を見捨てたら、自分が一生後悔するような気がしてしまう。
「この人がだめになるから見捨てられない」のではなく、だめになるのは自分の方だ。
この人は、自分が何か「意味のある存在」であるかのように錯覚させてくれる人だ。
この人を捨てることは、同時に「意味のある存在」だったかも知れない自分を否定することだ。
だから、この人を捨てたら一生後悔する。
もちろん、こんな利己的な思いだけではなく、純粋に愛しているからでもある。
でもこの男は勝手で、さちを幸せにはしてくれそうもなくて、あまつさえ他の女と心中未遂をする。
それでもこの男から離れられないさちという女性を説明するには、
健気とか純愛とか献身的とか、そういう綺麗な言葉だけでは全く足りないように思えた。
もっとどろどろとした思いが混ざっているようだ。
でもだからこそ、まぎれもなく、さちはこの男を愛していたのだと思う。
この男は、そういう風に愛される人なのだろうと、思う。
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2009年10月28日

レ・ミゼラブル

日曜日に帝劇公演「レ・ミゼラブル」を観てきました。
これも有名ミュージカルだが観たことがなかったので、観てみたかった。

ユーゴーの同名小説が原作。
パン一つを盗んだ罪で牢獄に長くとらわれたジャン・バルジャン。
彼の人生を中心に、革命後のフランスを舞台として様々な人間たちの生き様が交錯する。

印象としては、あまりよくなかったです。
話が散漫。
ジャン・バルジャンを軸に、彼を執拗に追うジャベール、哀れな娼婦ファンティーヌ、
その娘コゼット、コゼットを虐待していたテナルディエ夫妻、コゼットの恋人マリウス、
三角関係になるエポニーヌ、少年革命戦士ガブローシュ…と、このくらいの人数の重要人物がいるのだ。
書き切れていないような印象。これを3時間のミュージカルにまとめるのは難しいのだろうか。
以前映画で観たことがあるのだが、そっちの方がずっと良かった。
無理してまとめるより、しっかり時間をかけて描いた方がいいんだろうな。

さらに、致命的に歌が聞き取りづらい。
役者が悪いのか音響が悪いのか、歌詞がわからない部分が多すぎる。
これは疲れるし、入り込めない。
何が悪いんだろーなー…。

歌は、コゼットの子ども時代をやった子がびっくりするくらい上手かった。
子役であんなにちゃんと歌ってるのあんまり見たことないわー。
あとは…ちょっと微妙。
話は嫌いじゃないんだけどなー。
posted by バンビ at 20:03| Comment(1) | TrackBack(0) | その他演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月15日

さすがにどうかと思う

びっくりしたびっくりした。
今度の宝塚歌劇花組公演の演目です。

ドラマ相棒のミュージカル化。

…いやいやいやいや、それはナイんじゃなかろーか。
ドラマは、あんまり見てないけど好きだよおもしろいよ。
でも宝塚向きかっちゅーと全然そんなことないだろ。
そもそも右京さんを水谷豊以外の人がやることに意味はあるのか?
あれってあの人だからおもしろいんじゃないの?
「逆転裁判」の舞台が好評だったからって(そうらしい。信じられないが)、
コラボへの取り組みが安易なんじゃないのかオイ。
一般客に観てほしい…んだろうけど、観るのかこれ。
相棒をちゃんと映画館に見に行く人の中には、劇場にも行こうかなって人はいる…のか?
いない気がするんだけどなー。


お盆なので実家に戻っています。
涼しいなぁ盛岡。だらだらと避暑しています。
昨日は友達のうちで飲んでいた。
けっこうふらふらになるまで飲んだが、帰りは自転車でがんばってみた。
体力の衰えを感じ始める今日この頃だが、
上り坂ばかりの20分ほどの道のりを、わりとすいすい走りきることができた。
やるじゃん私!とちょっと感動。
月曜からはまた仕事だけど、まとまった休みが取れて、多少はリフレッシュできたかなー。
posted by バンビ at 17:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 宝塚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月09日

West Side Story

日本に来日中のブロードウェイ・ミュージカル、「West Side Story」を観てきました。
渋谷のオーチャードホールにて。
あまりにも有名なミュージカル。
宝塚でもやったことはあるのですが、私はそれは観ていないし映画もまともに観ていないので、
ほぼまっさらな状態でこのミュージカルを体験しました。

ニューヨーク・ウェストサイドを舞台にした、現代の「ロミオとジュリエット」。
不平等と貧困の中で毎日イライラと過ごしている10代のチンピラたち。
ホワイト・マイノリティのジェット団とプエルトリコ系のシャーク団は日々縄張り争いをしている。
そんな中、元ジェット団のリーダーだったトニーと、シャーク団のリーダーの妹マリアは恋をする。

すごいすごいすごい。
すごいすごいすごい!
ほんとにすごいほんとにすごい!
語彙が足りなくてもどかしいのだが、これほんとにすごい!
なんて圧倒的なダンスナンバーの数々なんだろう。
ダイナミックで、50年も前の作品なのに全く古さを感じさせない振り付けで。
最高にかっこよくて、ずっと客席でわくわくしていた。

幕開きの街角のシーンから、体育館でのダンスパーティでのダンス合戦の迫力、
プエルトリコの女たちが故郷をけなしアメリカを讃える皮肉な「アメリカ」のナンバーの勢い、
ジェット団の男たちの硬質な「クール」のナンバーの緊張感、
どれもこれも、まったく飽きるところがない。
ああ、やっぱりこれは「名作」なんだ。
心からそう思うことができた。

これは悲恋だし、アメリカへの風刺と批判に満ちた作品でもあるから、
無邪気にダンスナンバーの素晴らしさに興奮している場合ではないのだろうけれど。
でもまずこの音楽とダンスの力で強烈に舞台に引きつけてくれる作品であることが、
観客としてすごく嬉しくて、すごく幸せな時間だった。
posted by バンビ at 13:22| Comment(0) | TrackBack(0) | その他演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月21日

ガブリエル・シャネル

新橋演舞場にて芝居を見てきました。
来年はシャネル・モード開店100周年だかなんだかで、
シャネルをネタに映画もやってるし芝居も何本もやっている。
そのうちのひとつ、大地真央主演の「ガブリエル・シャネル」

20世紀を迎えたパリで、ガブリエルは19世紀とは全く違う服を作り始める。
ごてごてとした飾りも締め付けすぎる不自然なコルセットもない服。
女の目から見て美しいと思える、シンプルかつ機能的でエレガントな20世紀の女の服。
外に踏み出した女たちのための服を、
自らが自立心旺盛な新しい女であったガブリエル・シャネルが創りだしていく。

芝居としておもしろかったかというと、そうでもない。
ストーリーはやや散漫な気もするし、どうも私は大地真央さんのセリフ回しに馴染めない。
しかし、この年で10代の小娘をやってかわいい大地真央さんってすげぇな。
いくつだっけこの人…。あっぱれ。

相手役(ってほど話に結局絡まなかったが)の今井翼くんは、すごくいい声だってことを初めて知った。
音域は広くないみたいだから歌はちょっと怖かったが、めちゃくちゃイイ声。
落ち着いていて深くて不思議に響く声で、すごく雰囲気のある役者だった。

客席には森光子も来ていた。
なぜだか知らないが森光子とジャニーズって関係が深いしな。
普通の小さいおばあさんってかんじだったが、あれで舞台に立ってるんだからすごいよな。
放浪記、一度も見たことはないが、やってくれるうちに一度くらい観ておいてもいいのかな。
posted by バンビ at 21:19| Comment(0) | TrackBack(0) | その他演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月29日

The Reader 愛を読むひと

おとといは姉と二人で映画館をハシゴしてきた。
一本目は私の希望、二本目は姉の希望で「おとなり」を観るはずだった。
しかし「おとなり」はその日既に満員、帰るのもしゃくだから「愛を読む人」を観た。
これが、予想外に良い作品だった。


1950年代ドイツ。15才の少年は、年上の女性と一夏の恋をする。
彼女は、よく彼に本を読み聞かせてくれるようせがんだ。
彼女との関係が終わったのち、法科の大学院生となった彼は、彼女と思わぬところで再会する。
彼女はナチ時代の収容所の看守として、ユダヤ人虐殺の罪を問われる裁判の被告席に座っていた。


この映画についてほとんど何の予備知識も入れずに観たので、
ふつーのラブストーリーだと思っていたらまさかの重さに戸惑ったが。

彼女は、看守としての仕事を真っ当に遂行していた自分が虐殺の罪に問われることに戸惑っていた。
彼女は毎月アウシュヴィッツに送る囚人を選定していた。
彼女の感覚としては、看守として収容所に新たな囚人を迎えるためのスペースを作る必要があり、
その仕事をこなしていたのだ。
彼らが殺されることを知っていたかと追及されれば知っていたと答えるほかないが、
実感として意識はしていなかった。

私が学生時代に最も衝撃を受けた本の一つは、『イェルサレムのアイヒマン』だ。
正確には講義で抜粋を紹介されただけなのだが。
ユダヤ人虐殺の責任者だったアイヒマンは、残虐な人物でも何でもなく、
真面目で、組織の歯車として動くことが得意な、有能なインテリサラリーマンだった。
彼は、今生きていればその辺の会社でそれなりの昇進をして普通に暮らしているであろう、
私の周りにいても不思議ではないあまりにも平凡な人だった。
だからこそ、ナチという組織の行動を大局的に見ず、目の前の仕事を忠実にこなそうとし、
大量殺人をそれと意識することなくペン先で行なってしまった。
自分には与えられた仕事をこなすという責任があっただけであり、
それによる結果の責任は組織にあり自分という個人にはないと思っていた。

戦争責任を個人に帰すことができるかという問題はひとまず置いておくとして。
私は、目の前の出来事に誠実に対処して真面目に生きていくことは、
いついかなるときも許されることだと思っていた。
私は平凡な人間で特別にはなれないから、そうやって生きていくしかないと思っていた。
それがとんでもないことに繋がりうるということを見せられた。
私の生き方の根本に関わることだったため、忘れられなくなった。
それをまた見せられて、はっとした。

彼女は悪人ではない。それは彼女を個人的によく知っている主人公にもわかっている。
だが、彼は人としてナチの犯罪は許せなかった。
許せないという思いと、それでも消えない彼女への執着とがない交ぜになったまま、
彼は牢の中の彼女にかつて読み聞かせた本の朗読テープを送る。
許せなくても、彼女との繋がりを切りたくはなかったのかもしれない。
切らずにいれば、いつかよい方向に変わる日が来るという期待を消さずにすむからかもしれない。
読み書きのできなかった彼女は、そのテープを聴きながら牢獄の中で字を覚えた。

20年後、釈放されることが決まった彼女に彼は会いに行く。
「過去のことを考えるかい?」という彼の問に、彼女は
「私が何を考えても死人は死人のままだわ」と答える。
「何か学んだかい?」と聞けば、「字を覚えたわ」と答えた。

その正直でまっすぐな答えに、彼は傲慢にも落胆する。
彼は、彼女が罪を悔いることを期待していたのかもしれない。
許せない罪を犯した彼女を愛していることが後ろめたかったから、彼女に罪を悔いてほしかった。
それはひどく傲慢だけど、そう望むのは彼にしたら当然だろう。
彼女にしてみれば、どうやっても当時意識することのできなかった罪を、
人に諭されて悔いるなんてそれこそ失礼な話だ。
そもそも大勢いる虐殺関係者の中からたまたま罪に問われた状況では、心情的にも難しい。

彼が彼女に変わるよう望むのも、彼女が変われないのも、当たり前だ。
当たり前だけど、それは二人がもう一度交わることを絶望的にしていた。

彼は真っ当な人だし、彼女も悪人ではない。
だけど、どうするのが正しかったのか、何が間違っているのか、わからない。
描写は淡々としていて、二人とも声高には叫ばず多くを語らない。
だから、何をどう考えるかは観客に委ねられている。
見て、よかったかもしれない。
posted by バンビ at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月23日

この森で、天使はバスを降りた

シアタークリエで芝居を観てきました。
大塚ちひろ主演、「この森で、天使はバスを降りた」

刑務所を出たばかりの女の子・パーシーは、北のさびれた田舎町ギリアドを目指す。
かつては採石場がありそれなりに明るかった町も今では活気がない。
人々もそれぞれに事情を抱えていた。美しい森はあるがつまらない町。
そこに飛び込んだ異分子パーシーが少しずつ何かを変え、彼女自身も変わっていく、再生の物語。

よかったです。おもしろい芝居だった。

作中、ギリアドの食堂を売りに出すことにした彼らに、たくさんの応募者からの手紙が届く。
美しい森のあるこぢんまりとした穏やかな土地、ギリアドに住みたい。
10年同じ部屋に住んでいてお向かいの名前も知らない。
たとえ死んでも気付かれないような孤独すぎる日々には疲れた。
忙しさに追い回されず子育てがしたい。
都会にはない、ここではないどこかにある理想をギリアドに見出した人々からの手紙。
その手紙を受け取り、価値があるなんて思っても見なかった自分たちの町の良さに気付き、
人々は少しずつ明るさを取り戻す。

私は、田舎に理想の暮らしがあるなんて勝手な妄想だと思っているので、
こんなに夢を描く人はホントにここに来たりしない方がいいだろーなーと思いつつ見ていた。
べつに田舎は結局不便なだけでいいとこなんてないと思っているわけではなくて。
そりゃぁ都会にないものはあるだろうけど、良いモノも嫌なモノもどっちもあるのは変わらない。
事実、物語前半のギリアドはそれほどいい町ではなかったし、
根本的なことは何も変わっていないのだから嫌なモノはこれからも残り続ける。
ここではないどこかに嫌なモノが全くない世界があると信じてギリアドを目指すのは挫折のモトだ。

それでも、ギリアドの森には力があったのだろうと思う。
秋、いちばんこの森が美しい季節に、パーシーはひかりに出会う。
「こんなあたしでも生きてていいと信じさせて」と泣きたくなるような美しさに出会う。
私も、ときに美しさが絶対的な説得力を持つことがあるのは、わかる。
誰に側にいてもらうよりも、どんな言葉をかけられるよりも、
目の前にある風景から力を受け取れることがある。
海の青さだったり、鮮烈な色だったり、もっと何でもないものだったりしたけれど。
ギリアドは決して理想の楽園ではなくとも、そんな力を持った場所であることは確かだったのだろう。
今回は舞台なのでその森は一切姿を見せず、役者の表情からその姿を想像することしかできない。
この舞台の原作は映画なのだが、映画ではこの森をどんな映像美で見せてくれたのだろう。

この作品の原題は「The Spitfire Grill」。
パーシーが住み込みで働くことになる食堂の名前だ。
これの邦題を「この森で、天使はバスを降りた」としたのは、また随分と大胆な意訳だ。
だが確かに大塚ちひろのパーシーは、完全に善良な女の子ではないけれど天使だ。
そういう雰囲気があった。
posted by バンビ at 19:24| Comment(0) | TrackBack(0) | その他演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月06日

MISSING BOYS 〜僕が僕であるために〜

赤坂ACTシアターにて、芝居を観てきました。
「MISSING BOYS〜僕が僕であるために〜」

全編を尾崎豊の楽曲でつづるミュージカル作品。
ストリートバスケチーム、バンドMISSING BOYS、音楽プロデューサーなど、
様々な人たちが登場する青春群像劇。

不思議な舞台だった。
この間観た「スーザンを探して」や、最近映画化された「マンマ・ミーア!」のように、
あるアーティストの楽曲で構成されたミュージカルというものはあるので、
そういうものかと思って観に行った。
だが、どうも普通のミュージカルではなかった。
軸のストーリーはあるけれど、あまりそこに重きは置いておらず、
とても断片的で感覚的な印象だった。
ラップ、ダンス、歌、芝居、どれもスゴイと思わせるのだがつかみ所がない。
不思議な空間だった。

一番印象的だったのは、タップダンスだ。
圧倒された。
タップって、こんなことができるのか。
タップって、こんなに表現力のあるものだったのかと驚いた。
静謐な空間を作り出したり、小刻みな音で緊張感を出したり、ダイナミックに打ち鳴らしたり、
タップだけで変幻自在に空間を操っていた。
私は本格的なタップなんて知らず、
タップと言えば陽気で軽快なものしか見たことがなかったので、これは驚きだった。
posted by バンビ at 15:56| Comment(0) | TrackBack(0) | その他演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする